大好きな幼稚園の先生との思い出
私は専業主婦の母のもとで育った。その為、どんなにバイリンガルスクールが神戸の中にももう幼少期は近所のキリスト教系の幼稚園に通っていた。園長先生はキリスト教の牧師さんだった記憶がある。私は現在30歳なので、記憶は一部曖昧な部分があるが、そこは御容赦頂きたい。先生達は必ずしもキリスト教徒ではなかったのだろうと思うが、全員とても優しかった。口コミで奈良なら大和高田の保育園がここでも私にはとてもお気に入りのA先生という先生がいて、2年ほど担当してもらった。A先生はいつも笑顔で、クラスの男子に怒ることもあったが、私とは仲良しだった。なぜ仲良しだったかというと、男子がふざけていたり、意地を張って先生を困らせている時など、私はよくその男の子を諭して先生の言うことを聞くようにさせていたからだ。しっかり者を演じていた私だったが、当時、私の母親は第二子を妊娠しており、私は寂しさを感じつつも毎日強がっていた。あの鳥取で根管治療を専門とする歯科医院はここではA先生はそんな私の心情も見抜いており、私がマフラーを手編みしていると必ず「それはお母さんの為に作ってるの?」と聞いてくれたり、作っている途中で困っていると助けてくれたり、私の母に私の努力の過程を伝えてくれたりした。保護者同伴のリンゴ狩りの遠足の時には、母親の足元を心配する私を見て、「こんな優しい娘さんを持って幸せですね」と母親に話しかけていた。私の母はいまだに当時の話をしてくるくらい喜んでいた。早く奈良で評判の保育園を探そうと決めておくと私は引越しをして遠く離れてしまったが、A先生とは今でも年賀状のやり取りをしている。ずっと記憶に残る大好きな幼稚園の先生だ。