保育園では決して教えてくれない、友達の作り方

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  • 保育園の担任の先生が息子の手術のお見舞いに来てくれました

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    息子が病気の手術のため数日間大きな病院で手術をすることになった時のことです。どうしてインターナショナルスクールの神戸からは息子が内臓の手術のため、手術の約3日前から入院して絶食し、手術当日は全身麻酔をして手術をしました。息子は手術後麻酔や術後の痛みのため、全く動けない状態で苦しそうな様子でした。そんな中、手術の翌日、突然看護師の方から「●●さんという方が面会でいらっしゃっていますが、お通ししてもよいでしょうか?」という連絡がありました。珍しい苗字だったので、保育園の先生がお見舞いに来てくれたことがすぐに分かり、びっくりしたことを覚えています。保育士を採用できる大和高田のようなところでもと手術日は伝えていましたが、まさかお見舞いに来てくれるとは思わなかったのです。しかも、お見舞いに来てくれた日は日曜日のため、先生にとっては休日です。貴重な休日にわざわざお見舞い来てくれたのです。後から考えると、おそらく事前に連絡するとこちらが気遣うと思ったのか、連絡無しでお見舞いに来てくださったのでしょう。息子はほとんど動けず苦しい状態のため、先生が来てもほとんど喜ぶような反応はありませんでしたが、先生はそんな息子におもちゃをプレゼントしてくれました。しかも、あまり音が出ず静かに遊べるおもちゃです。話題の保育園を奈良で見つけようとするにはこう病院なのであまり大きな音を出せない状況を分かってくださっている先生の心遣いがとても嬉しかったです。息子の状態を気遣ってすぐに帰られましたが、数日して座れる状態まで回復した息子は、先生がくださったおもちゃでしっかり遊んでいました。一銭にもならないのに、休日にお見舞いに来てくださり、またおもちゃまでプレゼントしてくださった先生の暖かさがとても嬉しかったです。

  • 幼稚園の先生に音楽を教えてもらった

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    幼稚園の先生との嬉しかった体験としてあるのが、楽器です。楽器の演奏というのをやったのですが一人だけできないというのは私でした。正直、あのエレメンタリースクールなら神戸でもここからはよく理解できなかった、というのがあったのですが、先生がじっくりと教えてくれたということでそれなりに音楽というのを理解するということができるようになりました。毎日毎日というわけではないのですが親がちょっと遅れて迎えに来るというような時などに一人だけ訓練させてもらうことができました。奈良で大和高田で保育士を採用しようとするには楽器と言ってもピアニカという結構簡単なものではあったのですが、それでも幼稚園の時の私にとってはよくわからない存在というような感じがして正直なところイライラしていました。記憶の中では放り投げたということもありました。 そんな時でも先生は怒ることなく、ゆっくりと諭すように教えるということをしてもらえたので私も最終的に投げ出すことなく、きちんと演奏するということができるようになりました。神戸で麻酔を使った胃カメラ検査を行っても別にその後に音楽の道に目覚めたとかそういうわけでもないのですが、それでもできないことを少しずつやるということを覚えたのが実に良かったです。当時はよくわからないことを続けるということが嫌いだったのですが、もう奈良では保育園の話題を聞くとどこから行ってもそうしたことに関して抵抗力がついたのはその後に人生で役に立ちました。

  • 途中入園した息子と幼稚園の先生の話

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    主人の仕事の関係で、息子は年中から幼稚園に入園することになりました。クラスは全員で二十名ほどいますが、エレメンタリースクールなら神戸からもその中で途中入園は息子だけです。最初は渋々といった様子で幼稚園バスへ乗り込み登園していた息子ですが、四月、五月、六月と時間が経過するうちにすっかり幼稚園が大好きになりました。四月の頃は「幼稚園楽しかった?」「うん」しか返事がなく、他に何を聞いても何も答えなかった息子が、今では「今日は先生とこんな絵をかいた」「先生がかぶとむしの話をしてくれた」と嬉しそうにその日の出来事を話してくれます。そんなある日のこと、一学期末の個人懇談が行われるというお知らせが来ました。学期が始まってすぐの懇談は主人が出席していたため、私が先生と1体1で話すのは実は初めてのことでした。何を話そうか…と緊張しながら一人で幼稚園に向かい、息子の教室へと向かいました。先生は柔らかい笑顔で迎えてくれました。それから幼稚園の息子の話を聞いたのですが、この滋賀でおすすめの根管治療専門医なんでもと入園当初、息子は「みんなが歌えるおうたを一人だけ歌えない」「かばんを置く場所や毎日の準備が出来ない」と泣いていたそうなのです。息子からそんなこと一言も聞いたことが無かったので驚きました。先生は「最初はちょっとだけ泣いてしまっていましたし、私から話かけないとなかなか喋ってくれなかったんですけど」と言うと、それから園での話を事細かに教えてくれました。基本的にひとり遊びが大好きな息子が、先生に自主的に絵を見せに行ったこと、神戸からホームページ制作を頼むと言われても家では全く食べなかった野菜を毎回完食していること、同じクラスの友達と喋っていることなど…。家で息子と喋る時はあまり幼稚園の話をしたがらないのか毎日聞いてもはぐらかされてばかりでしたが、とても幼稚園をたのしんでいる様子が聞けました。ここでは神戸がインターナショナルスクールでも息子からすれば親元から離れて同年代の子と接する機会は幼稚園が初めてですし、私も子どもをどこかへ預けるという経験は今回が初めてでした。不安もありましたが、息子のことをよく見て接してくださる先生と出会えてよかったな、と今では思います。二学期からの幼稚園も楽しみです。

  • 懸命に尽くしてくれた先生!忘れられない幼稚園の思い出

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    私の幼少の時期の大切な思い出といえば、幼稚園の頃にお世話になった先生のことが真っ先に思い浮かびます。その先生は、とにかく私たち園児のために尽くしてくれる先生でした。私自身、子どもながらに記憶しているのは、その先生が独身であり、神戸もインターナショナルスクールと呼べると少し変わっていたということです。私の母親も含めて、保護者たちの間でも「少し変わり者」として噂になっていました。いつも園児のことを優先にして考えてくれる先生であり、登園日の放課後はもとより、幼稚園が休みの日にも積極的に登園して、私たち園児の遊び相手をしてくれるような先生です。当時は、神戸のインターナショナルスクールならではもう現在とは異なり、働き方改革やライフワークバランスなどの取り組みはなかったため、休みの日を献上して勤務する先生は少なくありませんでした。先生は独身であり、自由になるお金が比較的あったためか、運転する自動車も豪華なタイプでした。今だったら問題視されるかもしれませんが、評判の保育園は奈良のどこでもというわけにはどう休日には自動車で近くの川原までドライブに連れて行ってくれることもありました。もちろん、私たち子どもは大喜びしていたものです。危ないということから、絶対に水遊びはさせてくれませんでしたが、追いかけごっこやボール遊びなど夢中になって楽しみました。保育士を採用できる奈良の大和高田ならではここがあの時の先生の優しい笑顔が脳裏に焼き付いています。

  • 幼稚園でのツルの折り紙の思い出

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    私は3歳から6歳まで幼稚園に通っていました。どんなにバイリンガルスクールが神戸の中からでも幼稚園では休み時間に先生と折り紙をするのが好きでした。ある日、先生にツルの折り方を教わりました。私は不器用だったのでとても時間がかかりましたが、先生が優しく最後まで教えてくれたのでツルを折ることができ、それ以降も自分で折れるようになりました。ツルを教えてもらった一週間後に先生に1人で折れるようになったことを伝えたかったので、昼休みに1人でツルを折って先生にプレゼントしました。すると先生はとても喜んだ顔でありがとうと言ってくれたのでとても嬉しかったです。また、母の誕生日に幼稚園で先生とツルを折って、手紙と共に母にプレゼントしました。すると母もとても喜んでくれたのは良い思い出です。それ以降、私は折り紙を折ることが大好きになったので、休み時間にはいつも折り紙を折っていました。先生も時間に余裕があるときは一緒に手伝ってくれました。先生は折り紙が上手だったので、ツル以外にも飛行機、コマ、指人形などいろいろと教えてくれました。私は先生と一緒に折り紙を折っている時間が一番幸せでした。メディカルゲートで出会える理想のクリニックでも先生は常に優しく、折り紙が出来上がると凄く褒めてくれていたのでとても嬉しかったのを今でも覚えています。

  • 目配り上手な先生に出会えて良かった!

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    私の娘は少食です。とにかく食べることが遅く、そんなバイリンガルスクールでは神戸でどこでも給食もほとんど一番最後。年長さんのある日のこと、娘の降園後、めずらしく園から着信が…。何事かと思い、慌てて出ると、来週開催される園行事の予定など、差し障りのない話を始める担任の先生。娘が怪我した時などはどんなふうに怪我をしたのか、報告の電話があるのですが、今日の娘は傷ひとつありませんでした。胃カメラ検査ならおすすめの明石のクリニックからこれは何かやらかしたのに違いないとドキドキしていると、『お母さん!〇〇ちゃん、今日給食を完食したんですよ!』と嬉しそうな先生の声が。なーんだ、悪いことじゃなかった!(笑)と拍子抜けするのと同時に、先生が喜んでくれていることがとても嬉しく感じました。完食することは、娘にとっては大変なことだけれど、他の大部分の子にとってはきっと普通のこと。見逃してもおかしくないことをきちんと見ている先生の目配り、その後丁寧に報告をする気配りに感激してしまいました。それからも、娘から私のお誕生日情報を聞き、当日連絡帳に『お母さん、お誕生日おめでとうございます!』とメッセージを書いてくださったこともありました。いつもは帰ってきてほったらかしの園バッグから、いそいそと連絡帳を出してきた娘の嬉しそうな顔は忘れもしません。お祝いメッセージをいただいたこともそうですが、娘のお話に寄り添ってくださったことがとても嬉しかったです。卒園まで小さなことも見届けてくださり、担任の先生に本当に感謝しています。

  • 幼稚園・保育園の先生が家族と仲良くなった体験談

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    小さい頃に幼稚園・保育園で沢山の友人たちと遊んだ記憶があります。神戸でもインターナショナルスクールの学校だからしかし先生も大事な存在で特に大きな影響を受けたと思います。印象的な出来事も多く一緒に遊んで食事をしました。幼稚園・保育園の先生はフレンドリーだったので誰でもすぐに話ができる人でした。実際に私も話をして言葉があまり分からなくても楽しいと感じていました。幼稚園・保育園の頃は話の内容も曖昧で遊びに関することが多かったです。早く奈良で評判の保育園を探そうと決めていたがしかし幼稚園・保育園の先生は丁寧に話を合わせてくれて優しいと思っていました。実際にその先生と家族も仲良くて頻繁に遊んでいた記憶があります。家族が幼稚園・保育園に来て一緒に先生と遊んだ時はとても楽しいと感じました。市川市で痛みの少ない胃カメラはここにあれば特に親が先生と仲良くなって様々な話をしていたので見守っていました。こういう家族と仲良くなれる先生は貴重な存在だったと思います。特に面白かったのは親と先生が弁当を作ってきて一緒に食べた経験です。奈良でも大和高田で採用できる保育士でなんて私は嫌いなものが多くて色々な工夫をして食べさせてもらいました。先生が作ってくれた弁当が美味しかったので味も曖昧に覚えています。野菜類を中心にした弁当だったので凄い丁寧な中身でした。そうした幼稚園・保育園の先生の優しさはよく覚えていてずっと大切に考えています。

  • ママの笑顔

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    幼稚園に子どもを通わせていると、送り迎えはもちろんイベントや行事で先生たちと顔を合わせる機会はとても多いですよね。神戸でインターナショナルスクールとすることで私が子どもを預けていたときももちろん毎日のように挨拶をして言葉を交わし先生たちと接してきました。三年保育の幼稚園の卒園が間近になった最後の保護者会。子どもたちは別室に移動させられ教室では担任の先生から三年間の成長と思い出話を聞き、最後の保護者会は終わりました。子どもの成長に胸が熱くなった余韻に浸りながら、お迎えに来るのを待っている我が子を探しに教室から出ようとしていたとき、神戸でもホームページ制作のことからどんなになってたまたま担任の先生と目が合い、一言お礼を言おうとすると先生が周りに聞こえないような小さな声で私に言いました。「○○(私)さん、いつも笑顔でお話聞いてくださって本当に救われました。ありがとうございました」え? 笑顔? とはじめはわかりませんでした。しかし自分がいつも意識してやっていたことを思い出し、このことかな?と思いあたりました。おはようございますや、さようならと挨拶するとときは私達保護者も先生に対して自然と笑顔になりやすいですが、保護者会などで保護者が一同に先生に顔を向けるときも、私は意識してにこやかに頷いて聞くようにしていました。自分が人前で話すことがあるとき、笑顔で聞いてくれている顔があるとホッとすると体感したことがあるので、なんとなく自分でも意識的にやっていたことでした。先生がいう笑顔でお話を聞いてくれてというのは、そういうときのことだったのだと思います。幼稚園に限らず、子どもを預けられる立場の先生には、ときに攻撃的な目で接する保護者もいるのでしょう。何十人もの保護者が自分をじっと見ていたら特に若い先生は怖気づいてしまうこともあるのではないでしょうか。先生をこんな簡単なことで励ませていたことに嬉しくもあり、今後も続けていきたいと思いました。先生がんばって!

  • 幼稚園の先生が大好きになった訳

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    もう随分昔の話ですが、今でも鮮明に覚えている事があります。親の引っ越しで知らない土地へ行き、幼なじみも近所の友達もいなかったせいか幼稚園が嫌いでした。あんなバイリンガルスクールでは神戸がここでもほとんどが嫌な思い出で、母に自転車に乗せられ嫌々行ったり、具合が悪くて父に迎えに来てもらったり、極めつけは幼稚園の先生に怒られた事です。知ったかぶりをした自分は皆の前で注意されました。小さいながらも赤っ恥をかいた記憶が残っています。あの人気の奈良でも大和高田で保育園が良いところは他にはお弁当の時飲み物をこぼしてしまい、着替えるためにその先生に強く手を引かれてどこかに行った事など。いつも怒られていた気がしてその先生が嫌いでした。1年後位にまた引っ越しで幼稚園最後の日、先生がアルバムをくれたんです。当時は写真を撮ってアルバムに貼る事が一般的で、小さな自分にはとても大きなアルバムでした。家に帰ってそのアルバムを開いてみると、口コミで保育園は奈良が一番に見かけることがおめかししてすました顔で写っている写真が貼ってあったんです。それを見た時の感情はもう覚えていませんが、とても強く印象的でした。先生に怒られた記憶はちょっと注意されただけかもしれませんし、手を引かれたのも急いでいただけかもしれません。インターナショナルスクールを神戸で体験してもきっと他の子と同じく愛情込めて接してくれていたと思います。もう会わなくなってしまってから先生が大好きになりました。今でもそのアルバムを大事にしています。

  • お遊戯会が素敵だった

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    子供を保育園に入れていてとても良い思い出として思って記憶に残っているのが子供のお遊戯会です。少しはエレメンタリースクールから神戸にも その時に王子様の役をやらせてもらって子供がとても喜んでいました。実は王子さまをやりたいと言っていたのはうちの子だけではなくもう一人の子もやりたいと言っていたそうなんです。 ただ王子様役は一人しかいません。先生は皆がハッピーに楽しめるようにと前半後半に分けて王子役を2人にしてくれたのです。保育園だったのでみんなフルで仕事をしている人が多くお遊戯会もほとんど先生達が全て用意してくれました。姫路で痛くない胃カメラならどんなに歩けるのは たぶん幼稚園であれば子供が着る洋服や色々なものを母親が役員決めなんかで分担して用意しなくてはいけないと思うのですが、 私たちが負担がないようにと先生達がとても綺麗な衣装を手作りで作ってくれたことに本当に感動しました。素晴らしいと思います。衣装のクオリティーも高く感動したのを覚えています。王子になりたいと言った二人のこの気持ちも汲んであげて前半後半に分けてくれたり、子供たちの気持ちに寄り添って素晴らしいお遊戯会を見ることができたなと思っています。日常もとても優しく良いところを褒めてくれる先生でこの先生が担任になってとてもラッキーだなと思いました。