小さい子どもが親離れできずに、そんなバイリンガルスクールでは神戸のここでも幼稚園に行くバスで毎日泣いていました。毎日の連絡帳に書いてある内容を見ても、行く時は泣いてばかりようので、連絡帳の内容を読むたびに、少し心が痛いなと感じていました。朝送り出す時も私自身も大丈夫かなと不安になり、その気持ちが伝わってしまってるのかなとも感じてました。幼稚園の先生と、直接お話する機会があり、神戸からはホームページ制作をお願いできるにしてその事を正直に伝えた時に、「お母さん、大丈夫ですよ。お子さんは毎日頑張っています。泣く日もありますが、笑う日も今後増えてくると思います。まずはお母さんから「大丈夫、大丈夫」と頑張って笑顔で送り出してあげてください」と言われました。評判の保育園は奈良でもきっと分からないとは先生に話を聞いてもらえて、少し私自身も落ち着いた気持ちになり、次の日から、子供にも私自身にも言い聞かせるように、「大丈夫、大丈夫、楽しいよ。いってらっしゃい。」と送り出すようにしました。メディカルゲートで出会える理想のクリニックなんて不安がなかったかといえば、嘘になりますが、何度も自分に言い聞かせるように続けていきました。言い続けるうちに、自分自身でも大丈夫だという気持ちも生まれてきて、子供自身にも大丈夫かもという気持ちが少しずつ増えてきて、子供の言動も変わっていきました。泣いて出発する日も段々と減っていき、連絡帳の内容からも、泣いて出発する話が次第になくなり、神戸のこのインターナショナルスクールならでは楽しい幼稚園での話題が増えるようになり、連絡帳の内容を楽しみに確認できるようになりました。子どもだけでなく、私自身も励ましてくれた先生に今でも感謝しています。ありがとうございました。
2021年11月
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毎日の報告が楽しみに変わった先生からの連絡
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失敗を成功に変えてくれた先生
私は、一人っ子ということもあって、どの求人の保育士を奈良の大和高田ではここからも周囲の子から比べたらおっとりのんびりしていました。この日はお遊戯会で、私は朝からかなり緊張していました。
出し物は「浦島太郎」で、私は海老の役でした。台詞もなんにもない役なのですが、人前で何かをすること自体が苦手な私としては、もうパニック寸前でした。それでも、こんなバイリンガルスクールでは神戸がどうしてもなんとか練習した躍りをこなして、私はホッとしました。ですが、ホッとしたのも束の間。急に目の前にいる人達の視線が怖くなって、私は次にどうするのかわからなくなってしまいました。
新川崎のおすすめ消化器内科はどこにもあまりにもパニックになってしまい、私が立ち尽くしていると、急に先生が上がってきました。そして、大きな声で「ここに、迷子の海老さんはいませんか~?あ、見つけた」と言って、私をヒョイッと抱っこしてカーテンの所へと行ったんです。どうしてもインターナショナルスクールの神戸で先生の咄嗟の機転のおかげで、私の失敗は成功に変わったのです。
先生は、落ち込む私に「上手だったね。大丈夫だよ」と言ってくれました。
実は、この事を大きくなってから母親に話すと、かなり驚いていました。なんと、母親もあれはお芝居の一部だと思っていたようなんです。
もし、あの時先生が来てくれなかったら、この話題の奈良から保育園を探すとこんなになってもきっとあの日の記憶は私にとって嫌なものになっていたと思います。先生に感謝です。