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先生、今でも元気な保育園です。

大学附属の幼稚部に合格していた私が、奈良の大和高田で保育士の求人を探そうとは引っ越しで、保育園に通う事になった私を見て、まだ2歳なのにひらがなもカタカナも読めると言って驚きながらも、優しく接しながら園長先生と年齢よりも上の学級に入れてくれたのは、嬉しかったと今でも思っています。
確かに本当の年齢より年上のクラスだったけれど、それから卒園出来なくても卒園式を何度も経験出来たのと、小学校に行くと保育園で同じだった学年が上の友達が声を掛けてくれたから、どんなバイリンガルスクールが神戸の中にはどこか年齢関係なく楽しく過ごすことが出来たのだと今でも卒業証書と先生たちが書いてくれたお祝いの言葉が書いてあるのを、時々読み返してみたりしては懐かしいさと共に先生の笑顔が浮かんで来ます。
保育士という先生が選んでされていたお仕事は、神戸のここでインターナショナルスクールとは成長した私には向いていない訳じゃなかったけれど、15歳の中学3年生の時に稀な特定疾患の病気になってしまい、二ヶ月半の意識が無い後に気付いた時には目も見えず話せずに指一本も動かせなかったけれど耳だけは聞こえたから、メディカルゲートで見つけるクリニックとはそこが日本一の大学病院だと分かったけれど、それ以来体育の授業はドクターストップで全て見学になり出来ない以上、先生と同じお仕事は出来なくなってしまいました。
だけど、その長い入院中に保育園で同じクラスだった男子生徒がお見舞いに来てくれたのが、評判の保育園を奈良の口コミで書き込むとどんなにも 珍しいしそれを先生が聞いてくれたら一緒に笑ってくれると思っています。