先生のおかげで音楽が好きになった

私の通っていた幼稚園は、イベントのひとつに鼓笛隊があり、一人一人その子に合っている楽器を担当していました。どんなにバイリンガルスクールが神戸の中からと当時私は一切音楽に興味がなく、はさみなどを使って画用紙を動物の形に切ったり、父が絵の仕事をしていたこともあり、クレヨンで絵を描くなど芸術分野だと音楽より美術に興味がありました。先生はそのことを理解していて、絵を描くなどの細かい作業を好んでいるところを活かして、「鼓笛隊ではピアニカで演奏してほしいな」と勧めてきました。他の楽器と比べて覚えることがあることを当時は知らずにやると答えましたが、周りの太鼓を叩いてる子などをみて最初は少し後悔しました。ですが、根管治療でおススメの歯科医院が満載できるのは段々やっているうちにピアニカで目立つメロディーを弾いていることに気付き、それからは楽しくなっていきました。ピアニカを教えてくれている先生が結構厳しくて辛かったことを今でも覚えていますが、その分本番では完璧に演奏出来てとても満足出来たこともしっかり覚えています。そして、この鼓笛隊をきっかけに音楽が好きになり、中学、高校と吹奏楽部に入りました。吹奏楽部ではたくさんの音楽に触れより音楽が好きになり、かけがいのない仲間もできました。そのきっかけとなった幼稚園の先生の声掛けに、大変感謝しています。

息子の不安な気持ちに気付いて先生が電話を下さった

いつもは元気いっぱいの我が家の次男。幼稚園も毎日楽しく通っていました。エレメンタリースクールなら神戸でいわれることは、入学式で「何かあったら、アンパンマンみたいな顔をした先生を呼んで下さいね」と言われました。確かに丸顔でしたが、可愛らしい、いかにも幼稚園の先生といった感じの親しみの持てるお顔でした。その先生がある日、夜に電話をしてこられました。何か次男がしでかしたのかと恐る恐る聞くと、「明日の運動会に、○○君は出ない、と言っていたので、大丈夫かと思って・・・」とのこと。神戸といえばホームページ制作の準備から次男がそんなことを言うとは、私は思いもしませんでしたが、3人姉弟の末っ子なのでいざとなると弱いところがあったようにも思います。初めての「運動会」に、次男は不安になってのでしょう。家に帰っても至って普通だったので、私は気付きませんでした。でも、どうしても神戸のインターナショナルスクールなんか担任の先生は、そんな不安な気持ちを汲んで下さり、わざわざ電話を下さったのです。「大丈夫だと思います。家では普通にしていますので」と、お礼と共にその時の次男の状況も伝えました。この先生は、幼稚園から自宅まで2時間位かかるのに、幼稚園での仕事が終わった後、芦屋市の歯医者で口コミで人気になるかは母親も気付かなかった次男の不安を心配されてうちに電話を下さったのです。その後も、3人目に次男に手こずる私に、沢山の子達を見ていらした先生は、そんな話を聞いて下さったり、的確なアドバイスを下さいました。まだ20代の若い先生なのに、私はすっかり頼ってしまいました。今でも子供のことが本当に好きで、また人間的にも素晴らしい先生に次男がお世話になったことを感謝しています。

息子のお誕生日に保育園の先生から誕生日カード

11月30日は息子のお誕生日でした。人気の奈良でも大和高田で保育園がどこにあるかを保育園では毎月その月の誕生日のみんなのお誕生日会をしてくれます。うちの息子も11月生まれだったので11月の前半に11月生まれのみんなのお誕生会があったそうです。ただ、本人は誕生日はほぼ1ヶ月先だったし何となく実感がなかった様です。姫路で痛みが少ない胃カメラ検査を実施しても今日お誕生日会だったのよね?と聞いてもそうだよーとそっけない感じの答えしか返ってきていませんでした。保育園の園児はたくさんいるし、月によっては誕生日のお子さんが多い月もあるので、園児一人一人の誕生日に誕生日会を開くのは難しいことは理解していたので、仕方がないなと思っていました。神戸でもインターナショナルスクールといえるところはそれから数週間が経過して、11月30日誕生日当日です。私は今日はパートの仕事のシフトを入れずにケーキやご馳走を家で準備していました。そしていつもと同じ時間に息子を保育園に迎えに行って、連絡帳を受け取っていつもと同じ様に家に帰りました。今日は美味しいご飯たくさん作ってるからね〜と息子に話をしながら家に帰りました。家に帰るとまず連絡帳を見るのですが、連絡帳を開くとお誕生日カードが挟まっていました。とてもかわいいお誕生日カードで○○くん誕生日おめでとう!最近はみんなに優しいお兄さんになってきましたね!と書いてありました。息子にそれを見せるとすごく喜んでくれました。この評判の保育園は奈良のどこでもというわけにはこういったちょっとした気遣いやサプライズってとても嬉しいですよね。

先生、今でも元気な保育園です。

大学附属の幼稚部に合格していた私が、奈良の大和高田で保育士の求人を探そうとは引っ越しで、保育園に通う事になった私を見て、まだ2歳なのにひらがなもカタカナも読めると言って驚きながらも、優しく接しながら園長先生と年齢よりも上の学級に入れてくれたのは、嬉しかったと今でも思っています。
確かに本当の年齢より年上のクラスだったけれど、それから卒園出来なくても卒園式を何度も経験出来たのと、小学校に行くと保育園で同じだった学年が上の友達が声を掛けてくれたから、どんなバイリンガルスクールが神戸の中にはどこか年齢関係なく楽しく過ごすことが出来たのだと今でも卒業証書と先生たちが書いてくれたお祝いの言葉が書いてあるのを、時々読み返してみたりしては懐かしいさと共に先生の笑顔が浮かんで来ます。
保育士という先生が選んでされていたお仕事は、神戸のここでインターナショナルスクールとは成長した私には向いていない訳じゃなかったけれど、15歳の中学3年生の時に稀な特定疾患の病気になってしまい、二ヶ月半の意識が無い後に気付いた時には目も見えず話せずに指一本も動かせなかったけれど耳だけは聞こえたから、メディカルゲートで見つけるクリニックとはそこが日本一の大学病院だと分かったけれど、それ以来体育の授業はドクターストップで全て見学になり出来ない以上、先生と同じお仕事は出来なくなってしまいました。
だけど、その長い入院中に保育園で同じクラスだった男子生徒がお見舞いに来てくれたのが、評判の保育園を奈良の口コミで書き込むとどんなにも 珍しいしそれを先生が聞いてくれたら一緒に笑ってくれると思っています。